コロナ禍による経済・社会の制約が始まって半年がたとうとしている。その間、人の集合や移動に係る飲食、観光、イベント業や輸送業など多くの産業が打撃を受け、そこに従事する方々の収入や雇用が縮小した。こうした事態に直面して、各国政府は休業補償や失業手当てや様々な給付金を国民に提供した。日本政府(含む自治体)は、業績が悪化した事業者への持続化給付金、収入が減少した個人への給付金、雇用を維持した事業者への雇用調整助成金、とともに全国民に一律10万円の特別定額給付金を支給した。この「無条件で」「全員に」「定額を(一律に)」支給する制度は、単発ではあるが、従来から議論されてきたベーシックインカム(最低保障制度)を実現したものとして、ベーシックインカムに注目が集まるに至った。

 新型コロナウイルスは、様々なダメージを経済・社会に与えた。同時に、ハンコや書類、無駄な会議・出張が減ったこと、数々のリモートを用いた新サービスが誕生したこと、在宅勤務や地方移住など勤務形態に対する意識が変わったことと並び、ベーシックインカムに関する議論が深まったことは、数少ない正の副産物である。 

(1) ベーシックインカムの実例

 ベーシックインカム(Basic Income)とは、政府が①全ての住民(国民、州民、県民、市民など)に、②無条件で(制限を設けずに)、③一律に(一定額を)、④恒久的に、所得を与え、住民の最低の生活を保障する制度である。

 実例としては、モンゴルが2010年から全国民を対象に月2千円程度を支給した例がある。(ただし2012年に廃止) またイランが2011年から、富裕層を除く96%の国民に月5千円程度を支給(受給率96%)した例もある。イランの場合は、全国民を対象にしていない(所得制限を設けている)点で、厳密にはベーシックインカムではないが、当初は96%を対象としていた点でベーシックインカムの実例に加えて良かろう。しかし、イランのベーシックインカムは、その後、受給対象者が絞り込まれたため、ベーシックインカムとは言えない制度となった。

 現存するベーシックインカムとしては、米国アラスカ州が1982年に導入したものがある。アラスカの全州民を対象に年間1000~2000ドル程度を、石油関連収益を原資として支給する制度である。(上記の3か国の例の詳細は、野田彰彦「コロナ禍で注目を浴びるベーシックインカム」『SOMPO未来研トピックス2020』Vol.11(2020年7月) <http://www.sompo-ri.co.jp/issue/topics/data/t202011.pdf>ご参照)しかしこれら3つの実例は、支給金額規模が小さすぎる為、実態的にベーシックインカムの体をなしていない。

 また、実現はしなかったが、スイスは、全国民を対象に無条件で、大人に月2,500SF(約29万円)、子供に月625SF(73,000円)を支給する制度創設を企図した。結局、2016年6月の国民投票で否決され(賛成23.1%、反対76.9%)実現しなかったが、これは支給額の規模が大きいこともあり、最も本格的なベーシックインカム計画と言えよう。

 その他、コロナ禍に伴い、スペイン、イタリア、ポルトガルや米国の16都市で住民(国民)に、一定額を支給する制度が設けられ、これらがベーシックインカムの例としてメディアに取り上げられることが多い。しかし、いずれも収入や資産額により富裕層を排除して支給対象者を絞る扱いがなされており、これらをベーシックインカムに含めるのは無理がある。また、コロナ禍以前から、フィンランドでは2017年から2年間、失業者2000人に定額給付がなされた例があるが、これも失業者のみを対象としている為、ベーシックインカムとは言えない。

(2) ベーシックインカムの意義

 国民の最低限の生活水準を保障するするセーフティネットとしては、日本では生活保護制度がある。しかし生活保護には、資産や親族の援助の有無等に関し受給の為の様々な条件が設けられている。この為、被保護世帯は164万世帯(2017年3月時点)に留まり、これは生活保護基準以下の生活をする世帯7854万世帯(同)の21%に過ぎない。また、支給額は年齢、居住地域、世帯構成、医療・介護の必要性などにより異なる為、貧困状態にありながら表面的な条件が満たされず受給できないケースがしばしば生じる。これに対して、ベーシックインカムは無条件(制限なし)に一律に支給されるため、諸環境により受給できなくなる、収入が一定額を超えたとたんに受給できなくなる、といった問題がなくなる。

 ベーシックインカム導入の意義としては、以下の5点をあげることができる。

 第1に、公正度が高い。社会保障は、困窮する個人や世帯に対して現金や現物を支給することを旨とする。その際、支給対象を何らかの制限により絞ることにより、支給総額を圧縮し、効率的に保障することができるが、適用対象の制限はそこに不均衡を生む可能性が高い。この結果、前述のとおり生活保護が適用されない貧困世帯が生まれることになる。また、制限を設けると自ずと審査やモニタリングが必要になり、これは多大な行政コストを要する。これに対しベーシックインカムでは、上記の不公正は生じず、行政コストも低く効率的である。これは、人頭税(poll tax, lump-sum tax; 一括税、定額税)に似ている。人頭税とは、国民各人に担税力とは関係なく同額の税負担を求める税であり、1990~93年に英国のサッチャー政権下で導入された例がある。逆進性を有する人頭税では、垂直的公平性は全く果たせないが、公正さと効率性では最も優れた税である。これが、市場主義派がベーシックインカムに興味を示す一因になっている。

 第2に、ベーシックインカムは、申告制ではなく受動的に自動的に全員に支給がなされる。これに対し生活保護や諸支給は、申告しないと受給できない。この為、受給者に負い目が残る場合がある。生活保護などでは、受給者に対して差別的な目が向けられることもある。ベーシックインカムではそうした状況は起きない。

 第3に、就業しなくても最低限の生活が可能となる状況を目指す制度であるため、それが十分に実現すれば、我々は就労から解放されることが期待される。近代資本主義においては、労働を美徳と捉え、労働を通じた自己実現が人生の価値観の中心に位置し、労働により高い収入を得ることが是とされることで経済成長を実現してきた。これは確かに生産活動と人類の生きがいとをリンクさせる優れた社会システムであるが、同時に労働者に職場への隷属を強い、社畜やブラック企業といった語に代表される非人間的な状況をももたらした。

 とくに、就業機会が十分にあるうちは労働に高い価値を置く社会は成り立ちやすいが、就労機会が減少し、職を得られず労働中心社会に参加できない人が増えると、そうしたシステム自体が機能しなくなる。AI(人工知能)やロボットによって、全体の労働需要がどの程度減少するかは不明ながら、少なからぬ職種が消滅することは間違いなかろう。(AI・ロボットの普及に伴って創出される労働があり、喪失される労働との差し引きで、労働需要(雇用機会)全体がどの程度減るかについては諸説ある。)その結果、失業や労働市場からの撤退を余儀なくされる人も増えると思われ、そうした中で「働くことが当然」とするシステムを続けることは残酷である。ベーシックインカムの導入によって労働への価値観が変われば、そうした労働市場から撤退した方々に金銭のみならず、気持ちの面でも救いの手を差し出すことができる。会社への帰属意識が高い日本では、この視点は特に重要である。

 なお、労働の価値観が低下した後の社会では、人々は、労働以外での自己実現の方法を見つけておく必要がある。金銭収入を対価としない慈善活動や、芸術など価値創造活動などがその候補となろう。

 第4に、ベーシックインカムは、給付対象者に制限を設けないので、給付後の所得に「崖」が生じない。生活保護や諸給付金については、対象になった者と対象にならなかった者との間に、給付後の所得に大きな差が生じる。ベーシックインカムにはそうした問題が無い。

 第5に、ベーシックインカムは、生活保護などの他の最低所得保障制度に比べて勤労意欲を低下させる効果が小さい。生活保護では、勤労所得などの所得増加に応じて支給額が減額される仕組みを持っており、これが受給者の勤労意欲を低下させるという問題点を持つ。ベーシックインカムも、最低所得を保障する制度であるため、そのことによる勤労意欲喪失効果は有するが、勤労所得の獲得によって受給額が減少するわけではないので、勤労意欲減退効果は、生活保護などよりは格段に小さいであろう。

 ベーシックインカムは、このような多様な意義を持つため、社会保障を重視し大きな政府を擁護する社会民主主義の論者と、公正・効率を重視し小さな政府を標榜する市場主義者の双方から支持を受ける。こうした状況を「呉越同舟」と揶揄する見方もあるが、筆者は、これはベーシックインカムの持つ二面性のなせる業だと思う。いわば「両刃の剣」である。

 なお、民主党政権時代に提唱された「給付付き税額控除」は、最低所得に満たない世帯に対する所得保障という点で、ベーシックインカムと同様の意義を持つと言えよう。給付付き税額控除は、所得税の基礎控除等の諸控除の存在により、課税最低限度以下の所得の世帯には税率引き下げの恩恵が及ばず、恩恵はもっぱら高所得者が享受するという垂直的公平性上の障害に対応する為の制度であった。欧米では広く導入されている。ただし、給付付き税額控除は、現行の所得税に柔軟性を付与する点では有効だが、ベーシックインカムのように社会保障全体の形態を再構築するものではない。また、労働所得の増加により給付の縮減が為されることになり、その結果、労働意欲の喪失の懸念もある。ベーシックインカムの代替策として議論されることがあるが、その相違点を慎重に考察しなくてはいけない。

(3) 導入の障害・弊害

 一方で、ベーシックインカムには、いくつかの障害や弊害の懸念が指摘されている。

 第1に、働く意欲の喪失への懸念である。前述のとおり、ベーシックインカムは、生活保護など勤労所得増加に応じて給付額が削減される制度に比べれば就労意欲の低下の程度は少ないが、最低所得保障、あるいは広く公的な給付制度の宿命ともいえる就労意欲抑制効果はある。ただし、その程度は労働需給によって大きく異なる。失業率が低く、就労機会が十分にあり、人手不足であれば、就労意欲の低下は労働供給の減少に直結し、経済成長力を低下させる。しかし、失業率が高く、就労機会が不足しており、人手が余っている状況では、全般的に就労意欲が低下してもマクロ経済には悪影響を及ぼさない。今後、仮にAIやロボットの普及により労働需要が大きく減退するのであれば、就労意欲の低下はむしろ労働市場の需給の不均衡を均す働きもしよう。

 第2の懸念は、所得再分配機能が低下し、結果の平等、垂直的公平性が阻害される懸念である。その結果、再分配後の格差が拡大する懸念である。これはベーシックインカムを単独で考えれば妥当な懸念である。ベーシックインカムは逆進性を持ち、垂直的公平性を減ずる効果を持つ。ただし、同時に所得税の最高税率を引き上げるなど、税の累進性を高めれば垂直的公平性や再分配機能を総合的には高めることが可能である。後述する通り、ベーシックインカムの財源として高額所得の所得税の税率引き上げなどが必要になるであろう。このように税と社会保障を一体に考えた場合、ベーシックインカムの導入により、必ずしも垂直的公平性や再分配機能が損なわれるわけではない。(これは、消費税の軽減税率の議論と似ている。筆者は、簡素・中立・公平の観点から軽減税率には反対であり、消費税の逆進性は食料補助など歳出面で対応すべきと考える。)

 第3は、財源の懸念である。ベーシックインカムを、国民1人当たり毎月6万円を支給すると、総額90兆円近くの歳出増となる。これは令和2年度の一般会計当初予算の収入(税収+税外収入)の70.1兆円の1.28倍にあたり巨額である。ベーシックインカム導入に際しては、既存の社会保障、給付の削減・廃止は不可欠である。政界では、既存の社会保障を温存しつつベーシックインカムの導入を求める声があるが、これはナンセンスである。既存の社会保障を代替する制度を新設する際には、代替される制度を廃止するのが筋である。

 最低限の生活を保障する水準のベーシックインカムを支給するのであれば、理念を同じくする生活保護、失業給付は廃止せねばならない。また、老齢年金のうちの基礎年金、児童手当て等の支給も廃止すべきである。現物給付(医療、介護、保育、福祉、教育など)の社会保障は残すべきだが、既存の金銭給付の社会保障の内、最低所得保障にかかわる部分はベーシックインカムに移行するのが筋である。さらに、雇用を維持する為に事業者に支給される雇用調整助成金等の諸助成、コロナ禍で実施された各種の給付金もひとり親世帯への給付、児童手当も廃止すべきである。

 さて、これらの給付の廃止によりどの程度の財源が得られるか。令和2年当初予算で見ると、生活保護から医療費・介護費を引いた生活扶助と住宅扶助は年間1.8兆円、基礎年金の交付(給付)額(基礎年金拠出等年金特会繰入)は12兆円、児童手当が1.1兆円であり、これらを廃止することで約15兆円の財源が得られる。また、雇用保険の失業等給付2兆円前後、雇用調整助成金1.6兆円(令和2年度)の国庫負担分も廃止すれば国庫に貢献する。その他の給付金の削減を含めても、削減可能な歳出は最大20兆円以下であろう。残りの70兆円は、増税で賄うしかない。前述のとおり、高額所得に対する所得税の増税がまずなされるべきであり、足りない部分は消費税増税などに頼らざるを得ない。AI・ロボットに対する課税も検討すべきであろう。しかし、現状の税・税外収入が70兆円であることを考えると、不足分の70兆円を増税で賄えば、税負担率が倍になるわけで、これは現状ではまず不可能である。

 なお、ベーシックインカムの導入により、現状、低賃金で提供されている3K職等の皆が嫌がる仕事が提供されなくなるのでは、との見方がある。しかし、これはそうした3Kだが重要なエッセンシャル・ワーカーに対する賃金水準が低すぎることに根差す問題である。現状では、こうした人気のないエッセンシャル・ワーカーの問題については、最低賃金を引き上げることで対応しようとしているが、筆者は賛成できない。賃金を上げるだけでは事業者の負担が高まり、そうした不可欠な職の労働需要が低下する懸念があるからである。筆者は、そうした不可欠な人気の無い職に対しては、政府の補助金により収入を嵩上げするのが妥当だと考える。いずれにせよそうした職の供給の増減とベーシックインカムとは、別次元の議論である。

 また、ベーシックインカム導入によって、「低い賃金でも生活防衛が可能になるため賃金が低下する」という見方もある。しかし、他方で前述のとおりベーシックインカムは就労意識を低下させる効果を持つ。その結果、労働供給は減少し、賃金が上昇する可能性もある。

(4) 小さく産んで大きく育てる手も

 上記のベーシックインカムの障害、弊害のうち、最も深刻なのは第3の財源である。今すぐに全国民に月6万円の支給を行うことは、どれほど社会保障を整理してもほぼ不可能である。そうであれば、少しずつ段階的に導入してはどうか。まず、毎月1~2万円程度の小規模のベーシックインカムを導入し、その分、生活保護や失業給付、低所得世帯に対する諸給付を削減し、非困窮世帯に対するベーシックインカム支給分の財源は、高額所得に対する所得税や消費税の増税で手当てする。そして、次の段階でベーシックインカムを拡充し、最終的に月8万円程度の支給水準に至る際には、生活保護などの低所得世帯に対する助成は全廃し、所得税・消費税増税を含めて財源をきちんと手当てできるようにするのである。いわば、「小さく産んで大きく育てる」ということである。

 前述のとおり、ベーシックインカムには、多くの意義がある。とくにAI・ロボットによって就労機会が奪われる社会では、ベーシックインカムなしでは社会が成り立たない懸念すらある。

 さらに抽象的ながら、ベーシックインカムの導入により、国家への帰属意識が高まるといった意味もあると考える。失業しても、病気になっても死ぬまで最低限の生活を政府が保障してくれる、という制度が構築されれば、国民の政府に対する信認や国家に対する帰属意識は格段に高まるであろう。その結果、出生率も上昇し、経済成長率も高まることも期待できる。

 ベーシックインカムは、社会保障と税の基本構造を抜本的に再構築する重要な制度である。同時に、近代社会が依拠してきた労働至上主義に変革を迫るものである。より広範な視点での議論を尽くす必要があるが、実はそれほど時間もない。眼下の雇用情勢の悪化と生活困窮者の増加を見れば、こうした厳しい状況への対処は急がねばならない。雇用調整助成金の拡充などで凌げるものでは無いことは明らかである。まず、小規模のベーシックインカムを創設するところから始めるのが良かろう。「案ずるより産むが易し」である。

 なお、ベーシックインカム導入に先立っては、円滑に支給ができるよう、マイナンバーカードへの銀行口座の紐づけは済ませておく必要がある。日本銀行のデジタル通貨が実現すれば、支給はさらにスムーズになる。言わずもがなながら、これは特別定額給付金の支給の際の不手際に基づく教訓である。そうした教訓も、コロナ禍の貴重な正の副産物かもしれない。(了)