(1) 予想を超える惨状と事態の泥沼化

2022224日、ロシアがウクライナに軍事攻撃してから約1か月が経った。この1か月間、次々と繰り出されるプーチンのあまりに非道な仕打ちに怒りと悲しみと恐怖を覚え、次々に展開される予想外の出来事に呆然とし、何かを書き留めねばと思いつつ、筆が遠のき今日に至ってしまった。

筆者の予想は、真に次々と覆された。そもそも224日以前は「ロシアは、軍事的圧力は高めても、実際にウクライナに侵攻し市民を殺傷する」とは予想していなかった。そして、欧米諸国がこれほど強固に対ロシア経済制裁で結束するとも思っていなかった。そして、国際連合、国際法(秩序)といった既存のグローバルな枠組みが、これほど無力であるとも思わなかった。米国が、世界の警官の立場を捨て、America Firstに徹していることは頭にあったが、これほど無責任で無見識であったとは思わなかった。テレビやラジオに登場する専門家の中には、次々と起こる衝撃的な出来事に関して、「予想通り」「想定内」と述べる方がいるが、そうした方には「本当に?」と問い返したくなる。

以下、ロシアによるウクライナ軍事侵攻とそれに対する欧米日などの対ロシア経済制裁に伴う経済面の影響を考える。とくに、この1か月の衝撃的な経済面での出来事について、筆者が認識を新たにしたこと、思い知ったことを書き記しておきたい。

(2) オーソドックスに考える世界経済への影響(予想できたシナリオ)

1の影響は、ロシアとの貿易急減の影響である。世界中のロシア貿易専門商社やロシア貿易依存の高い企業は、存亡の危機に陥る。また、ロシアからの石油・天然ガスの供給が途絶えることで、昨年来急騰していたエネルギー価格の上昇に拍車がかかった。特にドイツなど、ロシア産の天然ガスへの依存の高い欧州諸国のダメージは深刻である。欧州ではエネルギー価格が既に急騰しており、市民生活に大打撃を与えている。ソバ、小麦等穀物、半導体原料といったウクライナ産品の供給減のダメージもあるが、規模は対ロシア貿易よりだいぶ小さく、世界経済全体への影響は限定的であろう。

日本については、対ロシア輸出が最も大きいのは自動車(2021年シェア42%)だが、対ロ輸出は日本の自動車輸出全体の3%強に過ぎない。日本の対ロシア輸入は、対ロ輸入全体の61%を占める鉱物性燃料の輸入が途絶えると、日本のエネルギー需給が逼迫し、価格上昇を促進するであろうが、日本の鉱物性燃料の輸入全体に占める対ロ輸入の比率は6%弱と小さい為、欧州に比べれば日本のダメージはたかが知れているであろう。むしろカニ、イクラ、ウニ、キャビアなどの魚介類については、対ロ輸入が日本の輸入全体の9%を占め、こちらの方が生活面での影響は大きいであろう。(ロシア上空の空路が使えないことでノルウェー産の生サーモンが入らないことで、サーモンの寿司も食べにくくなるそうだ。)幸い贅沢品が中心であり、庶民にはさほど応えないが。

2は、ロシア進出企業の操業停止・撤退である。対ロシア経済制裁に応じて、トヨタ自動車などの製造企業やファーストリテーリングなどの小売業、東洋エンジニアリングや総合商社などのプラント・プロジェクト運営業など、多くの日系企業がロシアでの操業を停止しており、その分これらの企業の業績に水を指すこととなった。いずれも大企業であり、企業本体の存亡が揺らぐ訳ではなかろうが、損失の合計は相応の規模に上るであろう。

3に、ロシア国債やロシアの公的機関・企業が発行する債券のデフォルト(債務不履行)リスクが高まり、対ロシア債権を保有する世界中の投資家、金融機関の実損あるいは潜在的損失が生じることである。既にロシア国債の主要信用格付け(S&P等)はCCレベルまで低下し(BB格以下は投資不適格)、対ロシア債権の価格は、この1か月で8割程度低下している。その結果、世界中の対ロシア債権を持つ投資家(含む機関投資家)が評価損を抱え、ロシア国債やロシア企業の社債を含む投資信託の価格も低下している。また、メガバンク等、対ロシア債権(貸出等)を持つ金融機関は、貸倒引当金の積み増しをせねばならず、その分収益が圧迫される。引当金の積み増しを迫られるかどうかは、後述するデフォルト(債務不履行)の有無に大いに依存することになる。

ただし、日本の金融機関の対ロシア債権(20219月末)は、世界全体の8%に過ぎず、フランスの21%、イタリアの20%、米国の16%、オーストリアの15%ほど大きくないのは救いである(BIS統計による)。

4は、ロシア経済減退によるダメージである。経済制裁に伴い、ロシアの輸出産業、国際サプライチェーンに依存する製造業、外国資本に依存する産業はロシアでの生産を大きく減少させる。また、国内のインフレが加速し、ルーブル金利の高騰によりロシア国内の消費需要も減退する。結果、今年度のロシアの実質経済成長率は10%近く低下するとも予測されている。世界のGDPに占めるロシアの比率は1.7%(世界11位)と大きくないが、対ロシア貿易・投資減退に伴うロシア以外の経済への悪影響をも加味すると、今回の混乱に伴い世界の経済成長率は1%以上低下するとの試算もある。

(3) 経済制裁とロシアの反応に関する新たな発見

他方で、この1か月、対ロシア経済制裁を巡り、筆者が想定していないような事象が数多く発生した。

1は、欧米が貿易・投資面でのロシアとの取引を禁止するだけでなく、米ドルやユーロといった外貨決済についてロシアを締め出すに至ったことである。今般の経済制裁では、国際決済を担うSWIFT(国際銀行間通信協会)からロシアを締め出し、ロシアの外貨準備売却を封鎖する事により、ロシアが外貨決済できないようにすることが制裁の中心に据えられた。筆者は日頃より講義にて、「『マネーフロー(資金仲介)』は経済の血液、『決済』は経済の呼吸」と説明しているが、経済制裁において、「決済」がここまで中心的な位置を占めるのは意外であった。

ロシアのSWIFTからの締め出しは2014年のクリミア侵攻時にも企図されたが、民間団体であるSWIFTが拒否して実現しなかった。今回は、速攻で実現した。また制裁実施国におけるロシアの外貨準備凍結措置も速攻で決まった。これらのロシア締め出し措置の効果は強烈であり、さっそく316日のドル建てロシア国債の利子支払いが不能となり、ロシアが実際にデフォルトに陥る懸念が高まった。

2に、ロシアが、経済制裁を科す国(非友好国と称す)向けのドル建て対外債務の支払いを自国通貨のルーブル等の他通貨で支払うことを可能にする為の法整備を行ったことにも驚いた。いくらロシアの国内法上の手当てだけとはいえ、「通貨の建値」という契約の基本要件を債務者が自分勝手に変えられるようにするという措置は、筆者の思考回路からは外れており、唖然とした。案の定、外国の主なロシア国債保有者や格付け会社は、外貨建て債務に元利払いを一方的にルーブルで支払う際にはデフォルトと認定する、との見解を示した。これは当然であろう。

ただし、316日のロシア国債の11700万ドルの利払いに際しては、どこからどう集めたのか不明ながら、ロシアはきちんとドルで返済をした為、このタイミングではロシア国債はデフォルトとはならなかった。

いずれにせよ、国際紛争や経済摩擦において「資金決済」がこれほど注目を浴びたことは無く、日頃より決済の重要性を説いてきた筆者は、この点では(不謹慎ながら)嬉しくもあった。

3に、欧米諸国がロシアの外貨準備を凍結する事により、ロシアの外貨建て債務の返済が一挙に危機に瀕した事である。後講釈では当然ということになるが、欧米諸国が迅速に結束でき、その効果がこれほど大きいとは正直なところ思わかった。

4は、ロシアが、ロシアから撤退・事業停止した外資企業のビジネス拠点などの資産を接収する、経済制裁を課す非友好国の知的財産権使用料を払わない、非友好国の不動産・有価証券等の資産売却に政府の許可を求めるといった方針を示したことである。在ロシアの外国籍の飛行機も差し押さえられ、欧米の航空会社はリース料負担だけが残り、航空機ファイナンスを手掛ける金融機関にもダメージが生じるに至った。

宣戦布告をして戦争状態となれば、敵国の国内資産を管理下に収めることは常なのかもしれない。しかし、今回は、ロシアは欧米諸国と戦争状態に陥っている訳ではなく、ロシアが外国資産を一方的に接収する根拠は全く無い。ロシアから見れば、欧米日の経済制裁に対する当然の報復措置ということなのであろうが、国際法においてこれからどう処理されるのか、注目される。

5に、対ロシア経済制裁によって損失を被った(欧米日の)企業や投資家に対して、何ら補償が用意されないことを改めて思い知った。自然災害の被害者に対しては、通常、政府は何らかの補償をする。不況に陥った際にも、政府は被害者の企業や家計に対してある程度の補償を施す。しかし、対ロシア債権保有者、ロシア進出企業、ロシアへの輸出者といった経済制裁の被害者は、制裁が欧米日の政府による人為的なアクションによるものであるにもかかわらず、誰も補償をする用意は無い。どの国に投資するか、どの国とビジネスを行うかは、あくまで自己責任に拠り、投資やビジネスの前提を政府が変えても、その責任は一切採らないということである。「BRICSなどという言葉に踊らされてロシアに投資したり、進出したりした企業や投資家が悪い」ということなのであろうか。公平性を考慮すれば、個々の投資家や企業のビジネス判断による損失を補償する訳にはいかない、という理屈は理解するが、心情的には損失を被った企業や投資家が気の毒である。

*****

本来であれば、ロシアのウクライナ侵攻が、今後世界経済にどのような影響をどの程度もたらすかを、包括的に数字を示して展望するのが常であろうが、戦況自体が不透明な為、経済的影響の計量は正直なところ不可能である。それについては、戦況が落ち着いてから考察したいと思う。本稿では、過去1か月に得られた「経済面の現象・影響経路」に関する新たな視点のみ、備忘録のように綴らせていただいた。(了)