(1) 財・サービスの貿易赤字が拡大し経常収支黒字の縮小持続

日本の国際収支への関心が高まっている。512日には3月の国際収支統計が発表され、経常収支が4年連続減少し、2021年度には12.6兆円となったことが伝えられた(図表1)。内訳をみると財(モノ)の貿易収支が急速に悪化し1.7兆円の赤字に転落したことと、伝統的に赤字のサービス収支の赤字が4.8兆円まで膨らんだことが主因である(図表2)。

図1経常収支内訳年度貿易収支悪化の原因は、石油・天然ガスなどエネルギー価格の急騰と世界的インフレによる輸入価格上昇である。円安と世界経済回復により2021年度の輸出は前年比25%増加したが、輸入はそれを上回る35%も拡大した。サービス収支は元々赤字であるが、2015年度から黒字に転じていた旅行収支が、コロナ禍によりインバウンド旅行者の蒸発により黒字がほとんどなくなり、専門業務サービスの輸入、オンラインサービス料の海外支払いが増加し、サービス収支の赤字は急拡大している。

そして今議論となっているのが、今後近いうちに経常収支が赤字に転落するかどうかである。ウクライナ戦争に伴う対ロシア制裁により、ロシア向け輸出は途絶え、ロシアからのエネルギー・穀物などの供給が途絶えたことでエネルギー価格と食料品の価格高騰が加速し、日本の貿易収支赤字がさらに拡大するとみられている。円安も価格面では輸入価格上昇要因が勝り、短期的には貿易収支悪化要因として働いているとみられている。この結果、民間機関の多くが2022年度の日本の経常収支黒字は5兆円程度まで縮小するとみている。 

(2) 経常収支はそう簡単には赤字にはならないが・・・

しかし、筆者は日本の経常収支の悪化がこのまま続き、近い将来赤字に転落するとは思っていない。世界経済の成長減速により石油・天然ガスの価格も緩むであろうし、2020年半ばからのかなり急激な円安(20204-6月期~20221-3月期で名目実効為替レートは▲16%、実質実効為替レートは▲21%)を受け、日本の輸出企業の競争力が増し、今後は輸出数量の増加が見込めるからである。海外生産の進展により、従来ほどの円安メリットは期待できないとはいえ、Jカーブ効果が消えた後の中期的には円安はやはり貿易収支改善効果を持つと思われる。図2貿易サービス所得収支推移年度

また、サービス収支の赤字も縮小する可能性が高い。元々文化・景観の素晴らしさに定評がある日本については、ここ10年ほどで「安い」との認識が世界で定着しており、そこに今般の円安効果が加わり、コロナ対応の入国規制さえ緩くなればインバウンド旅行者は一挙に戻るであろう。観光地や繁華街が外国人だらけになることを憂うる方も多いであろうが、インバンド旅行者が日本に落とすカネは国際収支においてはサービス輸出にカウントされ、これは日本経済にとっては歓迎すべきことである。またコロナ巣籠りが下火になれば、海外に支払うIT関連のフィーも減少するであろう。今後のサービス収支は、貿易収支以上に改善が見込める。

ただし、日本産業の国際競争力が低下してきていることも否定できない。国際競争力は、モノの貿易収支で語られることが多いが、サービス化・ソフト化が進展し、情報通信や金融等の非製造業が経済の中で大きな位置を占める現代では、財の貿易とサービスを分けてみることにあまり意味はない。そうした点では、財・サービス合計の貿易収支がより重要である。

財・サービスをあわせた貿易・サービス収支は2011~15年度に大きな赤字に陥り、一度黒字化したものの2018年度から再び赤字に陥り、2021年度の赤字は6.5兆円にのぼった(図表2)。2011~15年度の赤字は、東日本大震災で原子力発電所がスト停止し、火力発電の為の化石燃料輸入が急増したという特殊要因によるが、2018年度からの貿易・サービス収支の赤字は、日本産業が海外との競争力を喪失してきたことを示している。貿易・サービス収支が、近い将来黒字に戻ることは難しいであろうが、前述の理由により、赤字が一方的に膨らむこともないであろう。 

(3) 所得収支の大黒字が経常収支黒字を支える「成熟債権国」

貿易・サービス収支が2018年度から赤字に陥っているにもかかわらず経常収支が黒字を保ってきた理由は、所得収支が膨大な黒字を計上し続けてきたからである。日本は、世界最大の対外純資産を背景として第1次所得収支は毎年20兆円前後の黒字を計上してきた。とくに、2013年以降は円安により黒字額が拡大傾向を示し、2021年度には黒字額は21.6兆円にのぼった。日本は財・サービスの貿易は赤字だが、海外からの利子・配当のネット受取りが巨額に上り、経常収支黒字を保っているのである。ジェフリー・クローサー(Geoffrey Crowther1907-1972)の「国際収支の発展段階説」に基づけば、2011年度、あるいは2018年度から「成熟債権国」の段階に入っていたのである。

国際収支の発展段階説とは、経済発展、すなわち国民所得水準の向上と産業高度化に伴い国際収支の構造が変化する様子を示した仮説であり、その含意は超長期の発展サイクルである。日本が2018年度から移行したと考えられる成熟債権国のステージの典型例としては、第2次世界大戦以降の英国がある。製造業の衰退により貿易収支は戦後、赤字となったが、戦前までに積み上げた膨大な対外資産(直接投資など)から生まれる配当収入などで経常収支の黒字を1983年まで35年間保った。日本も、貿易・サービス収支赤字+経常収支黒字の成熟債権国の位置に、相当長く居座る可能性が高いと思う。 

(4) 貿易・サービス収支赤字は円安・低成長要因に

経常収支が黒字でも、財・サービス貿易収支が赤字ならば、円安要因となる。財・サービス貿易の赤字は、貿易建値が何であれネットの円需要縮小と外貨需要拡大につながる。これに対し、海外から受取る利子・配当は海外に再投資される比率が高く、所得収支黒字は必ずしも円需要増加・外貨需要減少をもたらさない。(詳細は202243日付け本ブログ「悪い円安論は不適切―円安で世界的には貧しくなるが今なお経済成長は促進―」 http://masudayasu.blog.jp/archives/28479739.html ご参照)  今般の円安の主因は、米国の利上げなどにより日米金利差が拡大したことにあり、日米金利差は今後も縮小しそうに無いが、国際収支面での円安要因も続きそうである。

また所得収支黒字は、国民所得の増加にはつながるが、貿易収支黒字と異なり雇用増にも国内生産拡大にも寄与しない。古来、所得収支黒字により経常収支黒字を保つ成熟債権国は、ファイナンス面では健全だが経済成長力は乏しい。前述の1940年代末から80年代初頭の英国も、豊かさを保ちながらも産業が振るわない姿は「英国病」と揶揄されていた。日本も、このままであれば更なる低成長を覚悟しなければいけない。

そうした意味では、改めて、利子・配当ではなく、財・サービス輸出により外貨を稼げる産業構造を取り戻したいものである。円安を好機と捉え、国内での生産(含むサービス部門)の拡充に努め、貿易で稼げる産業構造を採り戻したいものである。1980年代以来の日本産業のトレンドである国際化・海外シフトを再考して欲しいものである。そして、所得収支が黒字のうちに、貿易・サービス収支を再び黒字化

(5) 国内部門資金余剰(貯蓄超過)が黒字のうちに財政再建を

部門別貯蓄・投資バランスの観点では、「経常収支=民間部門貯蓄超過+一般政府貯蓄超過=家計貯蓄超過+民間非金融企業貯蓄超過+財政収支」の関係にある。(貯蓄超過=貯蓄-投資=純貯蓄=資金余剰=純金融資産増加) 日本の部門別資金過不足を見ると、一般政府が一貫してマイナス(投資超過、資金不足)であるのに対し、家計は一貫して貯蓄超過(資金余剰)の状態にある(図表3)。これはどこの国でも見られる普通の構図である。(詳細は2020225日付け本ブログ「経常収支赤字化への道:日本がギリシャになる日」 http://masudayasu.blog.jp/archives/21563906.html ご参照)  普通でないのは、民間非金融企業部門が2007年以降貯蓄超過(貯蓄>投資、資金余剰)の状態にあることである。とくに、リーマン危機後、民間企業は債務返済を優先して設備投資を抑制した結果、資金余剰は2013年には約30兆円にのぼった(図表3)。図3部門別資金過不足

この結果、国内部門全体では大きな貯蓄超過(資金余剰)となっている(これは図表3では海外部門の資金不足として示される)。同時にこれは、日本が経常収支黒字あるいは金融収支の資本流出超過(純資本流出)を持つことに対応する。

近年こうした構図に変化がみられる。まず、家計の貯蓄超過(資金余剰)が、一進一退を続けながら長期的に縮小してきている。2020年にはコロナ禍に伴う一律定額給付金の支給や消費の抑制により家計部門の資金余剰が急拡大したが、コロナ禍の終了後は再び縮小するであろう。一般に、ライフサイクル仮説が示す通り、高齢者世帯は貯蓄率が低いので、高齢化に伴い家計の資金余剰が低下するのは当然である。

非金融企業部門の資金余剰も、収益環境次第では縮小する可能性が高い。この結果、民間部門の資金余剰が縮小し、財政収支が変わらなければ、国内部門は資金余剰が縮小する傾向に入っている。これは経常収支が4年連続で縮小してきたことと符合している。

経常収支が赤字になれば、国内部門は資金余剰から資金不足に転じ、これは経済・金融環境に多様な影響を及ぼすであろう。まず、国内の資金需給が逼迫し実質金利が上昇し、経済にブレーキがかかるであろう。とくに、大量に発行し続けられている国債が円滑に消化されない状況が生じ、日本銀行の買いオペにもかかわらず国債金利が跳ね上がる懸念がある。そうなると元来憂慮すべきだが低金利で覆い隠されてきた膨大な政府債務残高の問題点が、一挙に表面化することになる。

前述のとおり、現状の円安水準が続けば、早晩、財・サービスの輸出数量が改善し、貿易・サービス収支の赤字も縮小し、経常収支の黒字縮小も収まると考える。そうなれば日本の対外的な資金ファイナンスに支障は生じない。しかし、環境が変われば経常収支が赤字に転落する可能性もあり、その際の悲惨な状況は想定しておかねばならない。経常収支の黒字・赤字の意味については2014414日付け本ブログ「経常収支赤字化を問題視すべきでない」 http://masudayasu.blog.jp/archives/16099794.html ご参照)。  経常収支が黒字のうちに、なるべく早く財政収支の改善に着手し、万が一赤字に陥った際にも耐え得るよう、政府債務の増加に歯止めをかけておくべきであろう。(了)