(1) 2022年前半の3つの予想外の出来事

今年は、予期しなかった出来事が続く。これだけ予想外のことが起こると、年初恒例の「××年の展望」を修正しなければいけなくなる。その際には、まず「何が予想外であったか」を記すのが誠実な姿勢であろう。

予期せぬ出来事の第1は、224日のロシアによるウクライナ侵攻である。イアン・ブレマー(Ian Bremmer)氏が率いるユーラシア・グループ(Eurasia Group)が、年初に「2022年の10大リスク」の5番目に「ロシア」をあげていたEurasia Group “Top Risks 2022” January 2022https://www.eurasiagroup.net/files/upload/EurasiaGroup_TopRisks2022.pdf. ことが称えられているが、ブレマー氏はリスクとしてロシアをあげただけであり、ブレマー氏といえどもロシアが実際に国境を越えてウクライナにこれほど激しい攻撃を加えることをメイン・シナリオとは考えていなかったであろう。

2014年のロシアのクリミア併合以来、ロシアの帝国主義、プーチン大統領の強欲さは常に世界の脅威であり、実際にウクライナ東部が緊張状態にあることは誰もが認識していた。しかしロシア専門家の多くは、いくらロシアが脅威であっても、冷静で賢いプーチンが実際に国境を越えて兵を進めこれほどの殺戮を繰り返すとは想定していなかった。

ましてや、ロシア・ウクライナ戦争がこれほど長引くことも、米国・欧州諸国などによる経済制裁がこれほど広範囲でなされることも、開戦時には予想していなかった。その結果、ロシアからの天然ガスと穀物などの供給が途絶え、昨年来のインフレに拍車をかけた。これも想定以上である。(詳細は2022320日付け本ブログ「ロシアのウクライナ侵攻・対ロ経済制裁の世界経済への影響新たな認識の記録 http://masudayasu.blog.jp/archives/28408755.html ご参照

2は、安倍晋三元首相が、78日、銃撃を受け逝去なさったことである。安倍元首相の功績、あるいはアベノミクスに対する評価にはここでは触れないが、元首相といえども隠然たる力を有していた安倍氏の死去は、現岸田文雄政権や黒田東彦日本銀行総裁の経済政策と後任人事に少なからぬ影響を与えると予想される。この点については、後述する。

3は、1ドル=140円をうかがう水準まで円安が進んだことである。最近はユーロの対ドルレートの下落も顕著であり、「円安ではなくドル高ではないか」と見方もあろうが、円の名目実効為替レートも年初来(714日までに)15%も下落しており、やはり相当な円安であることは否定できない。主因は日米金利差の拡大である。米国で金融引き締めがなされ、長期金利が大きく上昇する一方で、日本銀行はマイナス金利政策と10年物国債金利の低位での固定を続け、日本の金利は依然、地を這っている。また貿易・サービス収支の悪化により経常収支黒字が縮小傾向にあり、これも需給面で円安を招いている可能性がある。(詳細は2022513日付け本ブログ「成熟債権国に移行した日本所得収支黒字が大きいうちに産業振興に資する貿易・サービス収支改善を http://masudayasu.blog.jp/archives/28688633.html ご参照)

こうした状況は年初にも予見されたため、円安傾向に向かうとの予測がマジョリティではあったが、多くはここまで急激な円安は予想していなかった。また、日米金利差の背景には、米国・欧州に比べ日本のインフレ率が低位に留まっていることがある。日本の物価上昇が相対的に穏やかなことは円高要因であり、それにも関わらずこれほど急速に円安が進むのは、やはり予想外である。実質実効為替レートは、本年初17%も下落しており、これは物価上昇率差(購買力平価)を加味した円レートはさらに激しく下落していることを示す。(「円安の功罪」については202243日付け本ブログ「悪い円安論は不適切円安で世界的には貧しくなるが今なお経済成長は促進 http://masudayasu.blog.jp/archives/28479739.html ご参照)

(2) 2022年経済の予想修正のベクトル

上記の3つの不測事態を受け、日本経済はどう変わるのか? 数値の予想はシンクタンクに任せるとして、ここでは方向性だけを展望してみよう。

まず、物価上昇率の予測を上方修正しなければいけない。ロシア・ウクライナ戦争によるエネルギーと穀物の供給不足、超円安は、間違いなく物価上昇圧力となる。日本企業の涙ぐましい価格吸収力(値上げの抑制)によって、消費者物価は原材料価格ほどは上がっていない。しかし、国内企業物価が810%の上昇率(前年比)を既に9か月も続けていることを考えると、消費者物価も企業物価を追うように高まってくると覚悟すべきである。

当然、金利には上昇圧力がかかる。20234月の黒田東彦総裁の退任までは、マイナス金利が解除され▲0.1%の政策金利が引き上げられる可能性は少ないであろうが、長期金利には確実に上昇圧力がかかる。現在、日銀は「長短金利操作(イールドカーブ・コントロール)付き量的・質的金融緩和」策の下で、指値オペをフル稼働して必死に10年物国債金利を0.25%に押さえ込んでいる。その歪みは日々高まっており、今年中にも日銀が長短金利操作政策を見直す(例えば10年物国債の指値オペの目標金利を引き上げる)可能性は高まっている。

また、安倍元首相の逝去により、次の日銀総裁はリフレ派(量的金融緩和重視派)でない方となる可能性が高い。安倍元首相は、アベノミクスの主柱に「大胆な金融緩和」を据え、黒田氏を総裁に指名してあからさまに日銀の政策に圧力を加え、政府・日銀が一体となって金融緩和を進めてきた。そして首相退陣後も、後継の菅義偉首相、岸田文雄首相にアベノミクスの継承を求めてきた。安倍元首相がご健在ならば、来年4月の新総裁人事においても、岸田首相は金融緩和の継続を絶対条件として総裁を選ばねばならなかったであろうが、そうした呪縛は安倍氏の死去により薄れると考えてよかろう。

円安とインフレのデメリットを主張する声が高まっており、岸田首相は、おそらく「異次元金融緩和の正常化」を次期総裁に託すであろう。来年4月以降は、金融緩和は是正され、マイナス金利政策がゼロ金利政策に戻ることも有り得るであろう。またそうした状況を期待して、長期金利はより早い段階から上昇圧力を強めるであろう。

物価上昇加速、円安の進行、長期金利の上昇、といった環境変化を受け、当然経済成長率は下方修正される。円安は今なお大企業の利益拡大要因だが、昔のように輸出数量の拡大によって経済を牽引するといった効果は望めない。(詳細は202243日付け本ブログ「悪い円安論は不適切円安で世界的には貧しくなるが今なお経済成長は促進 http://masudayasu.blog.jp/archives/28479739.html ご参照)

日本経済の成長率は低下し、昨年末の政府経済見通しにおける2022年度実質経済成長率の3.2%の達成はまず無理であろう。

(3) 岸田文雄政権は自前の理念の実現に向けて始動できるか

710日投開票の参議院議員選挙では、与党が議席数を伸ばし、今後3年間、衆議院解散をしない限り国政選挙が無いため、岸田文雄政権は腰を据えて政策を遂行できる環境を得た。加えて、安倍元首相の逝去により、岸田首相は安倍氏の意向を気にせずに政策を進められることになり、真の岸田政権はまさにこれから始動するといっても過言ではない。

ロシア・ウクライナ戦争、世界的なインフレの進行と欧米の金融引き締めといった難しい状況の中、岸田政権が進む道は険しい。昨年10月の政権成立時に掲げた「新しい資本主義」は、相変わらずその本質が見えにくいが、自由度が高まった今、岸田首相は今秋の臨時国会から独自色を織り込んだ政策を打ち出してくると思われる。

岸田政権の直近の政策理念は、67日に閣議決定された「骨太方針2022(経済財政運営と改革の基本方針2022)」を見るしかない。この骨太方針は、2022612日付本ブログにて述べたとおり、第2章冒頭に「人への投資と分配」があげられており(図表1)、岸田首相が「人的資本」に軸足を移そうとしていることが伺える。(詳細は2022612日付け本ブログ「岸田政権の初の骨太方針2022・新しい資本主義実行計画に足りない視点リスクマネー還流とスタートアップ支援の本筋は http://masudayasu.blog.jp/archives/28918326.html ご参照)  その理念を実現するための重点投資先端テクノロジー分野として、グリーントランスフォーメーション(GX)とデジタルトランスフォーメーション(DX)を挙げ、スタートアップ(新規創業)の促進を前面に出している点も適切である。
骨太2022重点投資分野

ただし、これらの施策実現の為の財源についての記述は皆無である。それどころか大きく膨れ上がった政府債務をどう考えるかや、その是正の為の財政再建シナリオは示されず、プライマリーバランス黒字化目標まで消えてしまった。これは、自民党内で安倍晋三元首相を中心とする積極財政派(財政状況軽視派)の影響力が増し、これに配慮したためといわれている。

安倍元首相の逝去を受け、岸田首相には一貫性と誠実性を備えた政策を遂行して欲しいものである。具体的には、政府債務の累増に警鐘を鳴らし、財政再建シナリオとその目標をきちんと定めるべきである。そして防衛費増額や産業支援策、人的資本強化、社会保障整備といった巨額の歳出増を伴う諸施策について、きちんと財源を記し、財源手当てを明示すべきである。すなわち、増税の論議を始めねばならない。

さらに、岸田首相が自民党総裁選時に掲げた「分配重視」の理念について、そろそろ実現に向けて歩みを始めてほしい。「成長も分配も」「資産倍増」といったその場しのぎのごまかしの言ではなく、分配強化のための富裕層増税(所得税の累進性強化)、資産課税強化といった総裁選時の公約を再び持ち出し、果敢に国民に問うて欲しい。3年間国政選挙はないのであるから、そうした大衆受けしない政策を進めるのは、今しかないのである。

岸田文雄政権は、新しい環境下で真価を発揮できるか、安倍政権のコピーに終始するか、今が分かれ道である。(了)